会津若松

会津若松城(鶴が城)

会津藩校・日新館

会津武家屋敷

飯盛山

会津木綿織元

栄螺堂

せっかく会津に来たのだから、要所だけは見学しておきたい。

白虎隊の城として有名な会津若松城、通称鶴ケ城。元の名は黒川城。
戦国時代には蘆名氏の居城であったが、蘆名氏が伊達政宗に滅ぼされると、
伊達氏の居城となる。その後、秀吉の命で蒲生氏郷が城主となり、「若松」と改められた。この際に蒲生氏郷は大改築を行い、7層天守を完成させたが、後に加藤嘉明が入封した時に5層に戻されてしまった。従来の天守は、戊辰戦争の「会津戦争」の後に破壊されてしまい、現在復元されているのは当時の写真を元に建てられた5層天守である。

春は桜で見事なことだろう

天守閣から飯盛山を望む
城下町らしい会津若松駅舎
藩祖保科正之は、無類の学問好きといわれ、同時に幕府に対する忠誠心を最も強く持ち、これを広く浸透させることに尽力した名君と言われている。正之は、藩の憲法というべき「家訓(かきん)15条」の第一条に、「大君の儀一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例を以って自ら処るべからず」と記している。その正之の忠義心と学問への志を体系化し、藩士に徹底するため、学問所である「講所」が作られ、それを基礎としてさらに進化させた教育機関が、5代藩主松平容頌の時代に家老田中玄宰の進言によって計画され、享和3年(1803)に完成した「日新館」である。
現在の「日新館」は昭和62年に当時のまま完全復元された。順路にしたがって歩くと、素読や大学といった教室での勉学の様子が人形を使って紹介されている。最古のプールである水馬水練池などの、広大な敷地の中の施設は、会津藩の教育の質の高さが伺える。
儒教の祖である孔子を祀った大成殿
水練水馬池
東塾での学習風景
大成殿内の孔子像
会津藩士の子弟は、10歳になると日新館に入学したが、入学前の6歳より9歳までの子供が、区域ごとに組を作りお互に研鑚していた。それを「遊びの什」といい、その規則が「什の掟」である。

 「什の掟」
1、年長者の言うことにそむいてはなりませぬ
2、年長者には御辞儀をせねばなりませぬ
3、うそをいうてはなりませぬ
4、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
5、弱い者をいぢめてはなりませぬ
6、戸外で物を食べてはなりませぬ
7、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

  「ならぬことはならぬものです」
会津藩は、3代将軍徳川家光公の弟・保科正之を祖とし、江戸時代を通じて東北地方の外様大名を押さえる雄藩でした。
しかし幕末における動乱期に、時代の渦に巻き込まれ、城下は戦火にさらされその多くは焼失してしまいました。
この事を惜しんだ地元の有志により、会津の歴史・文化・精神を現代に蘇らせたのが会津武家屋敷です。
けやき・ひのき・杉材を使用した豪華壮大な家老屋敷・西郷頼母邸を中心に、
重要文化財の旧中畑陣屋・数寄屋風茶室・藩米精米所・会津歴史資料館・心の美術館などの歴史的建造物が軒を連ねる
野外歴史博物館となっています。                    <会津武家屋敷公式ホームページより引用>
鶴ケ城を南に見下ろす小高い山の中腹には、一年中紫煙のたえることのない白虎隊士19名の墓があります。
白虎隊は、戊辰戦争のおり藩主の親衛隊として組織された、15歳から17歳の少年たちからなる若い隊でした。

慶応4年(1868年)8月22日、滝沢本陣で指揮をとっていた松平容保は、西軍進攻の知らせを受け、白虎隊40名に出陣を命じます。
少年たちは初陣に胸踊らせて戦場へと向かい勇敢に戦いますが、力及ばず退却となってしまいます。
すでに20名となった少年たちは疲労と空腹に耐え、猪苗代湖の水を会津へと通していた戸ノ口堰洞門をくぐりぬけ、
飯盛山へとやっとの思いでたどりつきますが、ここで炎に包まれた鶴ケ城と城下を目前にし、
いさぎよく藩主に殉じようと自刃を決意するのです。

20名のなかで1人だけ生き残った飯沼貞吉によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。
白虎隊を忍びその霊を慰める剣舞は、春と秋の年に2回行われる墓前祭で、飯盛山の19隊士墓前で奉納されます。
                                                 <会津若松市ホームページより引用>

飯盛山登り口

中央の石段を登ると白虎隊士の墓所と自刃の地がある。
さほどの石段ではないが、横にエスカレーターがある。おじさんには嬉しい。

白虎隊士の墓

白虎隊自刃の地
小手をかざしてお城を望む隊士の姿

戸ノ口堰洞門の近くにあり、寛政8年(1796年)、実相寺の僧郁堂により建立されたといわれる仏堂です。六稜三層の形がさざえに似ていることからこの名で親しまれています。会津の人々がはるばる西国に詣でなくとも御利益が受けられるようにと建てられたもので、回廊に沿って西国三十三観音をまつった観音堂となっています。
 堂内に入ると、上り下りするためのらせん階段があり、参拝者は一度も対向する他の人に出会うことなく、また一度も同じ道を通ることなく、一方通行で堂内を参ることができるという世界的にも珍しい建物です。平成8年6月には、当時の庶民文化を語る貴重な歴史的資料として国の重要文化財に指定されました。
                        <会津若松市ホームページより引用>

会津といえば「会津木綿」。普段着の着物派には必須アイテムです。せっかく会津に来たのですから織元に寄ってみましょう。「原山織元」と「山田木綿」の2軒の織元がありますが、今回訪問したのは「山田木綿」さん。織元さんですから店というよりは事務所の感じですが、綺麗な反物が山になっていました。

今回購入した反物
左:紺の縞と無地(悟雀用)
右」縞と紫の無地(ハニー用)
  それぞれ1反 6500円

できあがった作品はこちらです。

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楽しんでいただけましたか?