着物に思うこと 2003.4.1
学生落語に染まっていた時代、ウール・ポリ・シルクウールの着物を着て講座にあがっていた。
着物が大好きで、汗だくで落語を演りながら気持ちよさに浸っていた。
それから20数年。着物を着る機会は減り、年に数回のボランティア落語だけになっていたが
やはり、着物の着心地はたまらなく気持ちよかった。
50歳を目前にしたある年の瀬に、ふと通りかかった「花園神社骨董市」。
なんと数千円で絹の長着が売られており、思わず衝動買いをしてしまった。
学生時代、着たくても着られなかった憧れの絹の着物を着ることが出来た。
この快感が、2度目の着物生活の始まりである。
足繁く骨董市に通い、ネット上の着物サイトにアクセスしまくり、気が付いた時には家に着物の山ができていた。
当時かなりアクセス数を誇っていた某着物サイトに登録し、毎日皆さんの書き込みを読むのが楽しみだった。
ある日サイトの主催者からのクレーム。「発言しないのならここから出て行け!」
「着物のどこがいいのか、どの織りやどの染めのどこがいいのかきちんと発言しろ・・
ただ、いいですだけじゃ良さは伝わらん。そんな奴はここでは必要としていない・・・。」とのこと。
何じゃこりゃ・・・。専門用語を並べてグタグタ書かなきゃ仲間入りは出来ないのか。
何も知らない素人が、ただ着物着てると気持ちいいです・・・って言ってるだけじゃ相手にされないのか!
またある日、夫婦で木綿の着物を着て駅前まで買い物に行き、ふと見かけた呉服屋の看板。
店の裏の素敵なお屋敷で展示会をやっている。
結構有名な店で、いつも店先に飾ってある着物を憧れの目で見ていたお店・・・。
二人で展示会に入っていくと、そこには本当に素敵な着物がずらっと並んでいた。
そこで耳に飛び込んできたのは「そんな着方をしたら、着物が普段着になってしまうでしょ!」という言葉。
常連客と思われる素晴らしい着物を着た女性が、店のお嬢さんに向かって叫んでいる。
しかし、その眼はあきらかに私たち夫婦に向けられていた。
再び、何じゃこりゃ・・・。木綿の普段着じゃ呉服の展示会にも入れないのか・・。
我々が着てるような物は着物じゃないのか!
この2つの出来事が私を変えた。
着物っていったいなんだ?着る物だろ。なんで普段着じゃいけないんだよ?
「ハレの着物」は素晴らしいです。でもちょっと待てよ。
洋服には「ジーンズ」があり、「ジャケット」があり、「スーツ」があり・・そして「フォーマル」がある。
衣装・衣類の土台の上に「ハレからケ」までがあるんじゃないか。
着物はどうだ。着物は全く特異な世界にしか残っていないじゃないか。それでいいのか。
着てこそ着物だろう。
今の着物の世界は、日常から遙かに遊離し、非日常の特殊な世界でしか生きていないじゃないか。
これでいいのか?
私は着物が好きです。大島・結城・・・素晴らしいと思います。あの技術は伝えていかなければいけない。
貴重な日本の文化です。
でも、今のままで残っていくのだろうか?
あれだけの仕事をしたら高価になるのは当然です。数百万の着物もあっていい。
しかし、多くの人が着物を特別の衣類と見、売り手が成人式という特別な日に数十万の着物を売りつける。
こんなことを続けていったら、着物を着る人間はいなくなる。
いや、極特殊な人だけが着る物になってしまうでしょう。
そんな一握りの人だけで着物の世界を背負っていけるのでしょうか?
私は「普段着着物派」に目覚めました。
安い着物、気楽な着物。それこそ「ジーンズ」「Tシャツ」の意識で着られる着物を大切にしたい。
若い人が着物を着ることの楽しさを体感し、着物ファンになってほしい。
その人達がやがて、着る物の延長線上にあるいわゆる高級呉服を着るようになるはずです。
そして、そうならない限り着物の明日はないと思います。
悟雀は「普段着着物派」。そして「着物のサポーター」「普段着着物の伝道師」として頑張っていきたい。